こんにちは。久しぶりの更新です。年間それなりのサーバー料金を払っているのでちゃんと更新しなければ・・笑
さて、10月30日〜11月1日の3日間で大崎町役場、鹿児島鰻、慶應大学院のみなさんと北海道の「東川町」に行ってきました。
恥ずかしながら東川のことは教授から話を聞くまで知りませんでした(東川スタイルという本を出版されています)
3日間の個人的なサマリーとしては、1985年の「写真の町」宣言が木の幹となり、その後、約30年かけて枝葉の海外留学生受け入れ「町立日本語学校」や応援人口戦略「ひがしかわ株主総会」、移住定住促進「東川風住宅設計指針」といった取り組みが進められてきたのだと感じました。
町の人が東川に誇りを持っているのが印象的で、それらを俯瞰として捉えたときに、”東川スタイル(らしさ)”が生まれるのだと思いました。
洗練されながらもアットホームな「せんとぴゅあ」
特に、東川複合交流施設「せんとぴゅあⅠ・Ⅱ」は、図書館でありながらも多様なバックグラウンドを持つ人と人が集まる場。
さらに東川の持つ3つの文化「写真文化」「大雪山文化」「家具デザイン文化」が集約されている、洗練されながらもアットホームな居心地を創りだしている不思議な空間でした。
初日の合流前に5時間ほど滞在していたのですが、緑の芝生と留学生や日本人が入り混じって作業しているこの空間は、僕が留学していたときのことを思い出させてくれました。
幼い頃からこの環境が近くにあることは、どうしても選択肢が限られてしまう地方の子どもたちにとってはすごく重要なことだと思いました。
Youはどうして東川へ?
今回の訪問ではテーマを決めていきました。それは「移住創業支援」です。
東川は移住者が増加していることで有名な町でもあり、その背景には役場の方々が知恵を駆使した様々なカラクリがあります。
詳細は割愛しますが、そういった取り組みの結果、元からいる人のお店だけでなく、外からもハイセンスな飲食店が集まっています。(8,000人の町に、60店舗ほどあるそうです)
僕は地方で「食」の仕事をしているので、実際に札幌市から移住してビストロを経営されている方のお店に行ってきました。
東川や道産の食材の使用して、ここでしか味わえないようなお料理を出されています。
写真には無いのですが、店内は木を基調とした家具や暖炉があり、大きな四角い窓からは東川の景色を見渡せます。
シェフがカウンターキッチンで調理したものを奥様がテーブルに届けてくれる、とても暖かみのある空間でした。
共通の知人の話題もあり、シェフや奥様とゆっくりお話することができました。
どうして東川町に移住したのか質問しました。
「他の町で感じた移住者への「壁」が、この町ではなかった」という答えでした。
後にわかったことですが、店内に必要な備品なども東川出身でセレクトショップを経営している町の方が手配したそうです。
移住者の創業を、町が支える関係が育まれているようでした。
その背景には、おそらく「写真の町」宣言によって、町民が外から来る人に対して寛容的かつ何かしらの関係を育むことを習慣化されてきているのだろうと思いました。
もちろん移住創業者のすべてがそうとは限らないですが、価値観の合う人同士が集まるのが東川なのだと思います。
本物・本質を見据える町
まだまだ書ききれないことはたくさんあります。
ただ、東川に行ってみて感じたことは、身の回りにあるものに本物をおくこと、そのために本質を理解することを役場や町の人が大事にしているように思いました。
人口1万人を目指すのではない、過疎ではなく適疎、東川町内で生まれる小さな経済循環。
次世代を担う若い子達には、常に身近に本物を感じさせることで価値観を育み、それが東川への誇りや愛に繋がる。
たとえ外にでてもそれを忘れないで大きく成長することで、帰ってこようがきまいが東川の応援人口に繋がるのだと思いました。
大人も子供も一緒になって、本質を考える時間があるのが東川なのかなと思いました。
最後になってしまいましたが、3日間びっちりアテンドしていただいた東川町役場の方々、本当にありがとうございました。また伺います。
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